イラク自由会議(IFC)と共につくる平和メディア「SANA」衛星テレビを広島からサポートしています!


by hiro_sana
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

カテゴリ:IFC関連情報( 5 )

【転送歓迎】

複数のMLに投稿しています。
(イラク平和テレビ局inJapan・森)

イラク反戦情報は次のHPへ

平和と民主主義をめざす全国交歓会 http://www.zenko-peace.com/

イラク平和テレビ局in Japan http://peacetv.jp/

週刊MDS http://www.mdsweb.jp/


※1月12日、オランダ政府が任命した独立調査委員会報告(ダービッズ・レポート)が公表されました。

その結論部分の日本語訳です。

特に7.18、20などが重要だと思います。


7.では「米国・英国の行動の結果が体制変革をもたらすだろうことは不可避であった。オランダ政府は、オランダ政府の政策と一致しない目的を持つ戦争に政治的支持を貸し与えたのである。従って、オランダの立場はある程度不誠実なものであったと言うことができる。」としています。



オランダ政府がイラクのフセイン政権打倒を支持するという間違った行動をしたことを認めているのです。



18.では「1990年代に国連安全保障理事会で採択した対イラク決議は2003年に米国と英国が軍事侵攻する際の権限付与を行ってはいなかった。」



「国連安全保障理事会第1441号決議の文言は…イラクに安全保障理事会決議に従うことを強制するために安全保障理事会の委任を受けることなく軍事力を行使することを個別の安全保障理事国に認めるものであると合理的に解釈することはできない。」としています。



1990年代と対イラク開戦直前の国連決議によっては対イラク軍事行動は正当化できないと断言しているのです。


20.では、対イラクの軍事行動は
「その軍事行動は国際法の下では何らの有効な権限付与も受けていなかったのである。」と明言しています。



対イラク戦争は国際法違反であったと宣言しているのです。



この報告書はオランダの世論がイラク戦争に圧倒的に反対していたことも認めています。そしてオランダのみならず、世界の反戦運動の重要な成果であると思います。



ここから、そんな国際法違反をやった政治指導者たちの戦争責任を追求する闘いへの進む根拠にすることができると思います。ブッシュ、ブレア、小泉たちです。すでにブレアは国会に召還されました。日本でもイラク、アフガニスタン侵略・占領の戦争責任を追及する闘いを進めましょう。



(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)


オランダ政府・独立調査委員会報告書(ダービッズ・レポート)

2010年1月12日公表



http://download.onderzoekscommissie-irak.nl/conclusions_rapport_commissie_irak.pdf



結論

1.イラク戦争に対するオランダの政治的支持に関する決定についての調査がもっと早く行われているほうが好ましかっただろう。



2.グレーン・リンクス(緑の党)とその後のSP(社会党)をのぞいて下院に議席を持つ全ての政党が国連安全保障理事会によって認められなかった要素も含めて1991年から2001年2月までの米国・英国による対イラク軍事行動を支持した。その期間、反対の声を上げる閣僚もいて1998年末の砂漠の狐作戦に閣内で反対意見があったが、全てのオランダの政権は政党構成に関わりなくその軍事行動を同様に支持した。世論は反対意見が顕著であった。



3.2002-2003年の期間、オランダ国内でイラク問題に関する論争が、騒然とした社会的政治的状況の中で起こった。この不安定な政治情勢の下で、オランダは国内問題に心を奪われていた。その結果、この問題は一定の範囲のメディアによって取り上げられたにもかかわらず、イラクについての大きな世論の論議は起こらなかった。



4.対イラク戦争に軍事的には参加しないというオランダ政府の決定は当時の世論調査に反映されたオランダ国民の大多数の意見と一致していた。国連安全保障理事会によって命じられていなかったという事実があるにもかかわらず対イラク戦争に政治的支持を表明するという決定は、世論調査に反映したオランダの世論の多数意見とは一致していなかった。



5.2002年8月はじめに、デ・ホープス・シェッフェル新外務大臣は、イラク問題について外務省職員に助言を求めた。この相談は、この問題に関する下院議会に対して外務大臣が最初に書いた演説文書の中に書かれている政治原則の基礎となった(2002年9月4日)。内閣も、バルケネンデ首相も、コルサルス国防大臣も、この演説文書について事前に相談を受けていなかった。この演説文書は政府の政策の基礎となり、最終的には2003年3月18日の政策文書の中に示された。



6.首相はイラク問題に関する議論をほとんどか全くリードしなかった。首相はイラク問題を全部外務大臣に任せてしまった。2003年1月になってやっと、首相はこの問題に強い関心を持った。しかしながら、その時までに、外務大臣によって明示された立場は政府の政策として確固として確立されていた。



7.当初、オランダは米国・英国の立場と同一歩調を取り、その結果イラク侵攻に至ることとなった。しかしながら、オランダは米国によって主張された体制変革戦略には国際法の根拠がないという見解を有していた。従ってオランダの政策は、イラクが保有していると推測されていた大量破壊兵器(WMD)の中和化とその後の国連安全保障理事会決議の遵守に向けられ続けた。しかしながら、米国・英国の行動の結果が体制変革をもたらすだろうことは不可避であった。オランダ政府は、オランダ政府の政策と一致しない目的を持つ戦争に政治的支持を貸し与えたのである。従って、オランダの立場はある程度不誠実なものであったと言うことができる。



8.2002年8月に外務大臣によって定められた政策原則の中で、国際法の下での正当性の問題は副次的なものであった。同様に、情報機関や兵器査察報告によって提供される情報を重視することは不十分であった。



9.オランダ政府と連立与党は2002年9月に採用された立場を維持すると確固として決意していた。すなわち、対イラク政策について政府と議会の間で十分な意見交換はしない、ということである。



10.イラク問題はPvdA(労働党)とCDA(キリスト教民主党)の間の連立協議では大きな扱いを受けなかった。バルケネンデとボスは米国と英国によるイラク侵攻への政治的支持を表明するという政府の決定をPvdAが支持することに関する明確な合意に達しなかった。



11.2003年3月17、18日に開催された閣議において、「政治的支援」の明確な意味は明らかにされなかった。それが誤解への扉を開いた。その範囲は3月18日に下院に提出された声明文が「政治的支援」についての明確な言及を含んでいなかったという事実によって広げられた。しかしながらこの言葉は以降の下院での論争の中で使われたのである。



12.2008年3月17日、バルケネンデはボス(PvdAの指導者で連立政権のパートナーの見込みであった)に、オランダは米国が主導する「有志連合」の一員の中に入れる行動は取らないと知らせた。とはいえ、オランダが有志連合のリストに挙げられていたという事実は外務大臣が自らの要請する指示をワシントンのオランダ大使に送らなかったことが原因である。



13.米国はオランダと他の諸国が表明した政治的支持から利益を得たのは、それが地球規模でのイラク侵攻に対する支援(有志連合)を増やしたからである。米国はオランダの政治的、(国防軍の)軍事的支援を獲得するのにたいして大きな圧力をかける必要はなかった。オランダは政治的支援と軍事的支援の間に明確な区別を付けていた。しかしこの区別はアメリカには必ずしも認識されていなかった。



14.イラク侵攻を支持するという決定は主に国際政治上の考慮に基づいて行われた。第一に、主要にはNATO加盟国間の暗黙の連帯が考慮された。第二に、オランダの対イラク政策を継続したいという願望があった。しかしながらそのような継続というものは、2003年までに米国と英国が追求していた目的が、1990年代に追求していたものとは大いに異なっていたのだから、疑わしい。米国と英国は、侵攻をねらった行動を取ることから、外国がイラクを占領する結果になる侵略へと移行していたのである。



15.本委員会は米国、英国によるイラク侵攻に対する政治的支持の表明がオランダの通商上の利益が動機となって行われたという証拠は発見できなかった。しかしながら、それはオランダの経済界が戦後のイラクで公平な競争の場が存在することで利益を手に入れそうな事例であった。



16.EU内部で意見が二分していたために、EU全体の一致した立場というものは取れそうもなかった。米国と英国に賛成する立場を取ることによって、オランダは、主として一方の英国と他方のドイツ及びフランスの間に立つことを望まれる仲介者としての立場を果たす可能性を失った。本委員会が検証した期間で「大西洋岸の反応」がヨーロッパを中心とした反応へと広がった。



17.NATOの内部では、オランダは米国・英国の立場を取った。オランダはトルコに対する防衛力を提供するのに賛成する合意を取る試みを支持した。しかし、オランダはアメリカの要請に応えてすでに初期段階でパトリオット・ミサイルをトルコに提供する時には単独行動を取った。



18.1990年代に国連安全保障理事会で採択した対イラク決議は2003年に米国と英国が軍事侵攻する際の権限付与を行ってはいなかった。一定の曖昧な表現は存在するが、国連安全保障理事会第1441号決議の文言は(オランダ政府が行ったように)イラクに安全保障理事会決議に従うことを強制するために安全保障理事会の委任を受けることなく軍事力を行使することを個別の安全保障理事国に認めるものであると合理的に解釈することはできない。



19.オランダはいわゆる「第2の決議」を非常に重視するとたいへん明確にしていたが、この立場はオランダ政府が第2の決議が政治的には望ましいが法律的には絶対に必要なものではないと首尾一貫して付け加えたために抑えられた。



20.オランダ政府が第2の決議は「政治的には望ましいが、法律的には絶対に必要なものではない」と何度も繰り返した見解を擁護することは容易ではない。国連安全保障理事会第1441号決議の文言と範囲はそのような第2の決議として解釈することはできない。従って、その軍事行動は国際法の下では何らの有効な権限付与も受けていなかったのである。



21.外務省の中で採用された国際法の解釈は徹底した最新の法的分析に基づいたものではなかった。イラクに対する武力の行使の正当性に関して外務省内部に意見の相違が存在したことは極めて不幸なことであった。



22.一般に、調整が行われなければならない―たとえば改善した組織体制の形態によってである―国際法に基づいた助言が外務省内部とそれに続いて政府全体によって政策決定のプロセスで適切に考慮されるように確実にするためである。そのような調整はオランダの外交政策の長い伝統と国際法の支配の発展を推進するというオランダ政府の憲法上の義務に合致しなければならない。



23.2003年初めに、オランダはイラクが武装解除をしたかどうかを確認するためにより多くの時間を武器査察官に与えることに賛成しなかった。



24.オランダは米国に対して、国連がイラクの戦後の安定と再建に顕著な役割を与えられることを受け入れるように要請した。オランダ政府は米国が紛争終結後の段階の準備をしていないことを知っていたにもかかわらず、そのことがイラク戦争に対する政治的支持を与える決定をする際に何の役割も果たさなかった。



25.オランダ政府はUNMOVIC[イラク問題に関する国連監査検証査察委員会]によおる報告の解釈を取捨選択した。そのために、外務省はUNMOVIC報告の微妙な表現を反映させなかった。



26.オランダの情報機関の内部では、AIVD(情報治安総局)もMIVD(軍情報治安局)もイラクのWMD[大量破壊兵器]計画に関する独立の情報源の情報を大して持っていなかった。どちらの情報局も、大部分は国連武器査察官の報告と外国の情報機関から提供される情報をもとにして評価を下していた。



27.MIVDはまず入手した情報を独自の軍事技術分析にゆだねた。その分析と関連して、イラクのWMD使用能力は限られたものであることが強調された。しかし、2003年初め以後は、入手される情報をそれ以上に批判的に分析することはおこなわれなかった。



28.AIVDはイラクのWMD計画の内部分析をほとんど行わなかった。しかしながら、AIVDはその非拡散の任務と関連してオランダ国内でイラクが調達しようという試みの監視はしていた。



29.この時期全体を通して、MIVDとAIVDはイラクのWMD計画による危険の分析については、政府の閣僚が下院に伝えていたものよりも控えめであった。



30.WMDに関してAIVDと特にMIVDによって作成された報告は他の国の公開された報告よりも微妙な表現をしていた。こうした微妙な表現は関係閣僚や省庁には反映されず、むしろ、閣僚や省庁はすでに採用された立場と一致した情報局報告の記述から引用をした。イラクのWMD計画を描く際に、オランダ政府は相当程度米国や英国の公的及び他の情報に導かれた。



31.戦争前には、イラクのWMD計画による脅威に関して下院の中で重要な議論は行わなかった。戦争後、WMDが発見されず、他の諸国の情報機関の活動についての批判的な報告が現れ始めて、やっとその論議が本格的に始まった。実際に論議が始まってみると、政府の下院に対する説明は、AIVDとMIVDがそれらの情報機関が実際にしたよりもっと大きな役割をしたせいだとした。



32.議会の情報治安機関委員会(「治安委員会」)との議論の中で、政府はMIVDとAIVDによって作成された報告の微妙な部分にはふれなかった。委員会によって報告された事実とは反対に、国防大臣は、AIVDとMIVDの報告が、省庁によって作成された公的な声明に一致しないと断言した。



33.政府は、イラクに国連安全保障理事会第1441号決議を満たさせるための軍事力動員の計画への協力に関する、2002年11月15日のアメリカによってオランダになされた要請の内容を議会に十分には明らかにしなかった。



34.カンプ(国防)大臣とデ・ホープス・シェッフェル(外務)大臣によってなされた米国の要請についての説明が、軍事介入に関する内閣の議論や、2003年3月25日にデ・ブアー副大臣の書いた説明とは異なっていることから、イラク侵攻の直前まで、米国がオランダに要請したことと、米国の要請に関して従うべき政策について混乱が存在した。直接関与をしていない閣僚は米国の要請の性質と内容を十分には知らされていなかった。



35.米国の要請に応えて適用するオランダの支援の性格に関する米国との協議の中で、オランダは実際の軍事的支援を提供するどんな決定も、オランダ自身の判断をもとにしなければならないと要求した。従って、オランダは実際の軍事的支援に関しては独立した決定権を保持した。



36.パトリオット・ミサイルが純粋に防衛的なものであると見なすという状況の中では、オランダ政府が攻撃兵器と防衛兵器の区別をしても、疑わしいことである。



37.オランダ政府は、2003年2月17日(実際の支援が始まった日)の声明文の前に、オランダ王国の条約上の義務を満たすにあたっての米軍受け入れ国支援協定の条文について議会に対して何の情報も提供しなかった。もっと早く情報を伝えなかったことは、適切な時期に議会に情報を伝えるという政府の約束に反するものであった。



38.不朽の自由作戦[2001年10月7日、米軍・英軍が開始した対アフガニスタン軍事作戦]に関連して、オランダのフリゲート艦ヴァン・ネス号が、米国軍・英国軍の侵攻兵力の増強に参加する艦船を護衛するためにアラビア半島沖の国際海域に数回派遣された。フリゲート艦を派遣することで、オランダは国際的な軍事作戦の信頼されるパートナーとしての声望を守ろうとしていた。オランダの潜水艦ワルラス号は連合軍の増強には全く関与しなかった。



39.本委員会はオランダがイラク侵攻(の準備)に積極的な軍事的貢献をしたといううわさを裏付ける証拠を見つけられなかった。



40.2003年3月22日にカタールで米国のフランクス将軍によって開かれた記者会見にオランダの士官が出席していたことは誤解と間違った指示の結果であった。問題となった士官は非難されるべきではなかった。国防省の組織的な欠陥から生まれた誤解である限り、カンプ国防大臣に政治的責任があった。



41.国防省は、イラク戦争開始の直前ではなく、もっと早くオランダ軍の交換士官を英国の軍艦から撤収させることが望ましかったであろう。そうすればオランダ海軍に対して引きおこされた不必要な怒りは避けられただろう。



42.2003年3月17日に、対イラク軍事作戦のためにフリゲート艦を「名称変更する」などのアメリカによる多数の目立った要請には応じないと決定された時、政府はPVDAの見解を受け入れていた。



43.閣内では、能動的な軍事的参加を控えるために引き合いに出された理由には、軍事攻撃支援を米国は要請していないことや、参戦に国民の支持がないことが含まれていた。下院では、政府は参戦に国民の支持がないことを強調した。



44.コック第1次内閣とコック第2次内閣を代表し、オランダ憲法100条の適用とオランダ軍の参戦に関する2001年の評価枠組みについて下院の検証を行っている時期に出された内閣声明は、いくつかの点で互いに矛盾し合い、必ずしも明確なものではなかった。たとえばイラク問題の討議の関係では、憲法100条は下院が政府の決定を承認する権利を与えていると決めてかかられる時もあったが、その一方ではこの場合には当てはまらないと(正しく)表明されることもあった。

[(訳注)オランダ憲法100条:外国軍は議会の法律に従わずに配備してはならない。


Article 100: Foreign troops shall not be employed other than pursuant to an
Act of Parliament.]



45.政府がトルコ東部へのパトリオット・ミサイルの配備と付随する兵員の配置に憲法100条を適用しなかったのは誤りである。配備がオランダのNATO条約上の義務によって避けがたいという主張は条文の文言とその法元の両方に相反する。国防省はいまだに条約上の義務に従って軍事力を配備したり使用することに憲法100条は適用されないという教義に固執している。当委員会はこうした見解を共有しない。



46.憲法100条の文言はオランダの領土上における軍事力の配備ないし利用に関する場合の適用に関しては2通りに解釈できる。しかしながら、2001年の評価枠はこの条項がこのような場合には当てはまらないことを明確に表明している。



47.憲法100条が2003年3月18日の表明によって下院に伝えられた決定に適用できないのは、その決定が軍事力の配備か利用と関係がなかったからである。



48.イラク戦争に対する政治的支持を送るという決定はデ・ホープス・シェッフェル大臣をNATO事務総長に任命するかも知れないことに影響は受けなかった。



49.本委員会は、閲覧に具するいくつかの国家機密文書の機密区分について疑問を持つ。この政策は歴史上の調査や実情調査を過度に妨げると見なされる。当委員会は文書の機密区分が定期的な再検討を受けるようなシステムを導入することを提案する。これは国立公文書館と、教育文化科学省の適切な仕事と思われるだろうし、後者の文書記録がそこに所属する。


MLホームページ: http://www.freeml.com/afghan_tribunal
[PR]
by hiro_sana | 2010-02-01 22:29 | IFC関連情報
【転送歓迎】

複数のMLに投稿しています。
(イラク平和テレビ局inJapan)

イラク反戦情報は次のHPへ

平和と民主主義をめざす全国交歓会 http://www.zenko-peace.com/

イラク平和テレビ局in Japan http://peacetv.jp/

週刊MDS http://www.mdsweb.jp/


※フォートフード米陸軍基地は5万人の兵士が配備されている米国内最大の基地です。ここでイラクへの派兵を予定されていた軍医であるアメリカ兵士が同僚の兵士を銃撃して多数の死傷者が出るという惨事が起こりました。

この事件についてIVAWが訴えています。今こそ全ての兵士を帰国させよう、と。

IVAWはアンダー・ザ・フード・カフェを開いてこの基地の目の前の場で戦争に反対する兵士が集まる場を作ってきました。

そして「IVAWイラクに誓う」の1万人上映運動のアーロン・ヒューズさんがこの事件についてのIVAW全国事務所の連絡担当者になっています。アメリカ兵士をここまで追い詰めているアメリカ政府の戦争政策の実態と、イラク占領を辞めさせていく闘いの重要性をこの作品からつかむことがますます重要になっています。

是非1万人上映運動を成功させましょう。


(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)


フォート・フード陸軍基地の仲間への追悼

2009年11月5日

IVAWはフォート・フード陸軍基地の全ての仲間に心からの哀悼を表明する。本日起こった銃撃は戦争の隠された犠牲を悲劇的に思い出させるものである。

我々は基地に駐屯している全てのメンバーが安全であることを確認している最中である。


詳細は以下に連絡していただきたい。

アンダー・ザ・フード・カフェ

Under the Hood Cafe 254-449-8811

http://www.underthehoodcafe.org/

IVAW National Office 646-723-0989

IVAW全国事務所

Aaron Hughes, Field Organizer 217-898-9083

アーロン・ヒューズ 



Fort Hood shooter, Nidal Malik Hasan, was a victim of racism

by Carl Webb | Fri, 11/06/2009 - 2:47am

フォート・フード基地の銃撃者のニダル・マリク・ハッサンは人種差別の犠牲者だった


カール・ウェッブ 2009年11月6日

ニダル・マリク・ハッサン少佐はヨルダンからアメリカに移民してきた両親の下でバージニア州で生まれた。彼は高校卒業後すぐに陸軍に入隊し、その代わりに陸軍は彼が大学と医学校に行く費用を支払った。ハッサンの叔母によると、彼は自分の宗教であるイスラムに関連した嫌がらせを受けていたので長年除隊の機会を探していた。ハッサンのいとこでバージニア州の弁護士のナーデル・ハッサンは、ニダル・ハッサンはアフガニスタンやイラクから帰還した兵士の話を聞いてから、戦争に反対するようになった。そのいとこは、ハッサンが中東出身者であることによって陸軍の同僚から嫌がらせを受けていた、と付け加えた。



アンダー・ザ・フード・カフェと反戦イラク帰還兵士の会フォート・フード支部の共同声明

2009年11月6日

我々の仲間は昨日のフォート・フード陸軍基地における悲劇的な銃撃事件にうちひしがれている。我々は犠牲者の家族と友人に哀悼を表明する。

 この事件について、我々は確かに腹立たしく感じてはいるが、こうした銃撃事件は突然の大事件として起こっているのではない。8年間の無意味な戦争はアメリカ軍兵士とその家族に莫大な打撃を与えた。西南アジアにおける戦争は誰にとっても最良の利益にはならないと言うことを認める時である。今こそ兵士を帰国させよう!



陸軍は、PTSDや他の精神面の健康問題から完全に回復する手助けをするよりも、兵士を「配備できるようにする」ことにより大きな関心を持っていると繰り返し表明してきた。このために、たいてい兵士はドラッグやアルコールによる自己治療以外にほとんど選択肢がないようになっている。自殺したり殺人を犯すのが明らかな兵士を陸軍が配備するのは日常茶飯事である。昨日はこの政策が引き起こす可能性のある暴力的な結末を身の毛をよだつ形で思い起こさせることとなった。我々は陸軍が今こそ兵士をもっと真剣に守るという義務を果たすように希望する。



 我々はこの事件の捜査に参加する陸軍と他の連邦政府機関が透明性を持つことを要求する。



アンダー・ザ・フード・カフェは軍務についているメンバーに法律的、財政的、医学的な照会の支援を提供している。そこは戦争と軍隊に関する自分の考えを兵士が自由に表明できる空間である。また、それはGI[アメリカ兵士]の権利についてのカウンセリングを提供している。反戦イラク帰還兵士の会はイラクの全占領軍の即時撤退とイラクが被った人的、社会構造的な損害に対する補償と、帰還兵士に対する十分な給付金を要求している。



アンダー・ザ・フード・カフェ

反戦イラク帰還兵士の会・フォート・フード支部
[PR]
by hiro_sana | 2009-11-09 21:29 | IFC関連情報
(配信:イラク平和テレビ局inJapan)

※アメリカのAFL-CIO(アメリカ労働総同盟・産別会議)の大会が開催され、USLAWが呼びかけていたイラクからの全占領軍・軍契約者(傭兵)の撤退とイラク労働者の権利擁護を要求する決議がほぼそのまま採択されました。この大会にはハッサン・ジュマ全イラク石油労組議長など5人のイラクの労働運動指導者が招かれています。

2009年AFL-CIO大会がイラクからの「迅速な撤退」とイラク労働者の権利擁護を要求

http://uslaboragainstwar.org/article.php?id=20316

2009年9月17日

 これらの決議は2009年9月17日にビッツバーグでのAFL-CIO(アメリカ労働総同盟・産別会議)大会の閉会総会で採択された。USLAWの数多くの加盟組織がこの成功に貢献した。

特に、デビッド・ニュービーAFL-CIOウィスコンシン州議長、ジョス・ウィリアム首都圏ワシントンDC労働評議会議長の2人は大会で反戦の取り組みの先頭に立ち、テム・ポールソン・サンフランスシコ労働評議会事務局長、トラバン・レイション・ワシントン-オレンジ-ラモイル労働評議会議長、ゲリー・コルビー・チャンプレーンバレー中央労働評議会議長はみな決議について会場で発言をし、シャロン・コーヌ・アラメダ労働評議会財政部長とUSLAWの全国オルグのトム・ゴーギャンはこの取り組みを調整する手助けをした。

多数の大会代議員が決議への支持を形成しイラクの労働者の権利を支持するUSLAWの対ヒラリー・クリントン宛の署名を回覧するとりくみに参加した。イラクの労働組合連合の5人の指導者たちは大会に出席してこうした取り組みを目の当たりにした。彼らは米国鉄鋼労組が主催する昼食会に招待された。

決議16号

イラクの労働者の権利に対する沈黙を終わらせよう

アラメダ労働評議会(カリフォルニア州)、サン・マテオ・カウンティー中央労働評議会(カリフォルニア州)、ワシントン-オレンジ-ラモイル労働評議会(バーモント州)、ウィスコンシン州AFL-CIOから提案

 6年間以上にわたる軍事占領のあげく、4300人以上のアメリカ人と100万人かそれ以上のイラク人の命が失われ、米国政府はイラクの軍事占領に納税者の資金から6500億ドル[約65兆円]近くを使ったにもかかわらず、イラクにおける真の民主主義はいまだに現実と言うよりはむしろ願望のままである。

民主的社会を築く根本的な基礎の一つは、政府の介入や支配や嫌がらせや抑圧を受けること

2003年のイラク侵攻以後、アメリカ合衆国は抑圧的なサダム時代の法律を無効にしたのに、サダム・フセインが押しつけた1987年の法律を実行し続けたのであり、そのために公的部門と公共企業の労働者が労働組合に加入したり雇用条件について交渉することを非合法にしているのである。

それに続くイラク暫定統治当局はこの労働者の権利を非民主的に否定する法律を執行し続け、新たに選ばれたイラク政府は労働者と労働組合の権利に対して、労働組合の銀行口座や財産を差し押さえたり凍結するなどさらに制限を押しつけた。

アメリカ軍とイラク軍は労働組合の事務所を襲撃して略奪し、労働組合の指導者を攻撃して逮捕し、石油産業などの公的企業の経営者は労働組合を認知したり交渉したりするなと指示された。

 嫌がらせや、殴打や、誘拐や、拘束や、拷問や、組合活動家への殺害さえされる中で、活気に満ちた多元主義の独立した労働組合運動がイラクの中で成長し続けている。

新しいイラク憲法の第3章第22条は結社の自由をはじめとした労働者の権利を尊重することを約束し、イラク政府に労働組合結成の権利を守る法律を制定することを求めている。

イラクは又、1962年の組合組織化と団体交渉の権利に関するILO第98号条約の加盟国であり(皮肉なことにアメリカ合衆国はいまだに批准していない)、したがって労働者の権利を尊重する国際法の条約上の義務を課しているのである。

 ILOはイラク政府が労働者の権利を尊重するためのイラクの憲法の要請と国際基準に従う労働基本法を採択するための援助を行ったが、イラク政府は採択のために法案をイラク議会に提出することを拒否してきた。

 労働基本権と人権のこのような違反がアメリカ政府のイラク当局に対する何の批判もなしに6年間以上起こっているのであり、アメリカ政府がイラクの労働者と労働組合の権利を守るために発言したのはずっと過去のことである。


どこにおいても労働者の権利を尊重し実行することはアメリカ合衆国を含むあらゆる場において労働者の権利を尊重し実行することを促進するものである。

 従って、以下決議する。AFL-CIOはこの決議を採択しアメリカ合衆国政府に以下のことをすることによってイラク自身の憲法の条項と国際条約の義務に応えるようにイラク政府に強く要求をするように要請する。

*すべてのイラク労働者に結社の自由の権利とILO条約に規定された他の労働者の権利を尊重すること。

*イラクの労働組合と組合指導者と活動家に対するあらゆる抑圧を停止すること。

*凍結ないし押収されてきた労働組合の資金と資産を解除し労働組合が通常の活動をするのを認めること

*公的企業と政府管轄部門の経営者に労働者によって自由に選ばれた組合を認知し交渉するように指示すること。

*イラクの法律の中にこれらの権利と義務を正式に記した労働基本法を即刻制定すること。


以下決議する。AFL-CIOはヒラリー・クリントン国務長官を通じてアメリカ政府にこの決議のコピーを送り、ワシントンDCの大使館を通じてイラク政府にもコピーを送ること。


さらに決議する。AFL-CIOは、州と地方の労働組合連合と中央労働評議会に、この決議に同意して、その一致した意見をヒラリー・クリントン国務長官に通知することによってアメリカ政府に、ワシントンDCの大使館を通じてイラク政府に対して伝えるように要請する。


最後に決議する。AFL-CIOはアメリカ反戦労働者の会によって始められたこれらの権利を支持する要請署名を回覧することによってイラクの労働者の権利を支持する運動に参加しなければならない。

決議52号

すべての兵士と軍契約者を帰国させよう!

アラメダ労働評議会(カリフォルニア州)提案

国際労働委員会によって修正


2005年AFL-CIO大会は「米国の兵士は…我が国の指導者が彼らを早急に帰国させると約束するだけの価値を持つ。終わりのない軍事駐留は声明と資金を浪費し、米国の安全を損ねアメリカ軍を弱体化させるだろう」と決議した。


2005年大会の当時、1700人のアメリカ軍兵士がすでにイラクで命を失っていたが、今日では4300人以上のアメリカ兵士が亡くなり、3万人以上が重傷を負っている。


アメリカ国民は世界大恐慌以来最も深刻な経済危機に直面しており、その結果、何百万人もの労働者が職を失うか労働時間や賃金の削減を被り、社会福祉計画と政府サービスは予算不足のために全米で削減されるか撤廃されている一方で、アメリカ合衆国はイラクですでに6500億ドル[約65兆円]以上を、そしてアフガニスタンを含めると2001年以来9000億ドル[約90兆円]近くを使ったのである。

ブッシュ政権によって署名された駐留米軍地位協定の条項の下で、アメリカ軍はイラクに2011年末までとどまるのであり、イラクにとどまる限りは戦闘に参加し犠牲者を出し続けるだろう。


 2008年3月に、バラク・オバマは言った。「決して始めてはならなかったこの戦争は兵士を帰国させることで終わらせる時がとっくに来ています。そして最後にイラクの指導者に自分たちの将来に対する責任を取るように迫るのです。いつものように、我々は亡くなった全ての人々の思い出に対して彼らが我が国に貢献したのと同じように貢献しなければなりません。それは彼らの家族に支援を提供し、私たちの兵士と退役兵士を保護し、米国の倒れた英雄たちが彼らの貢献を通じて模範を示したアメリカ的価値を維持することによってです。」


 AFL-CIOは2005年の大会でイラクからの「迅速な」撤退を要求した―それから4年たっても13万人の兵士と19万人の軍契約者がいまだにイラクにいる。


従って決議する。アラメダ・カウンティー労働評議会はイラクに対する継続した軍事占領に反対することを再確認し、すべての軍隊と武装した軍契約者をイラクから迅速に(*)撤退させることを要求する。

さらに決議する。アラメダ・カウンティー労働評議会は連邦議会と大統領に、現在イラクで浪費されている費用を再配分して、アメリカ国民が緊急に必要な物に対応し、絶対に必要な社会プログラムや公共サービスを復活させ完全に費用を支出し、地球温暖化に対応するための持続可能な技術を発展させ、まともな生活を提供する質の高い長期間の雇用を創出し、メキシコ湾岸と国のインフラ、そして本当の安全をアメリカに提供する他の多数の必要物を再建することを要求する。


最後に決議する。アラメダ・カウンティー労働評議会はこの決議をカリフォルニア労組連合と2009年の大会の場でAFL-CIOによって同意されることを要請してこの決議を提案する。


*「迅速な」の表現は投票のために議場に決議の報告をするのに十分な支持を確保するためにアラメダ労働評議会のシャロン・コーヌの同意を得て国際決議委員会によって「完全で即時の」に代えたものである。
[PR]
by hiro_sana | 2009-09-23 20:35 | IFC関連情報
【転送歓迎】

※シカゴでIVAW(反戦イラク帰還兵士の会)、USLAW(米国反戦労働者の会)、IFC(イラク自由会議)が3月のアルビルでの国際労働者大会の報告を行いました。

(原文は以下)
http://uslaboragainstwar.org/article.php?id=19350



(以下日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

シカゴ労働運動の指導者がイラクの労働組合を支援

テリー・デービス 平和の繁栄と正義を求めるシカゴ労働者の会  2009年5月30日

 USLAW[アメリカ反戦労働者の会]の加盟団体である平和の繁栄と正義を求めるシカゴ労働者の会とIVAW[反戦イラク帰還兵士の会]シカゴ支部が、VVAW[反戦ベトナム帰還兵士の会]と声を上げる軍人家族の会の計り知れない支援を得て、3月のアルビル大会で結成されたイラクの新しい労働組合連合への支援を中心とした一連の取り組みをシカゴの地で大成功させた。我々はこの取り組みは他の地域で繰り返しても同じようにすばらしい結果を得られるのではないかと考えている。



 我々はイラク自由会議のアムジャド・アリをトロントから2日間の大急ぎの訪米に招き入れた。その目的は、シカゴにおいてイラクの市民社会と労働運動の重要性について人々の理解を深めることであり、イラクの兄弟姉妹への寄付金を集めることであった。24時間を少し上回る時間の間に、我々は5つの取り組みを開催し、その全ての参加者数はすばらしかった。

 我々は町の反対側同士の外れにある2つの裕福な地域であるエバンストンとハイドパークで肩のこらない募金集めのパーティーを2回開催した。その招待状はパーティーの重要性と我々の持つ責任の両方を明快に説明し、最初のパーティーには20人近くを、2回目には約25人を集めた。報告はアルビル大会に参加したアムジャド・アリとIVAWのアーロン・ヒューズによって行われた。2カ所の会合で我々は2800ドル近くを集めた。



土曜日の午後には、我々はルーズベルト大学でエレーナ・マーチェシの司会による公開討論会を開催し、50人以上が参加した。アムジャドがアルビル大会とイラク現地の状況の報告をした。アーロンはイラクで軍務についた後イラクに戻って、イラクの労働組合運動について学んだという力強い報告をした。



USLAWのマイク・ツウェイグが発言して、アルビル大会の準備をするのにUSLAWが重要な役割を果たしたことを説明した。(レイバー・ビートが公開討論会を撮影し、すばらしい映像を仕上げるはずである)



 公開討論会の後、ヘイマート広場まで沈黙の行進をして、最後に広場の記念碑に花を置いた。そこにはイラク・米国労働者連帯のプレートがちょうど据え付けられていた―イリノイ州労働者歴史協会会長がすばらしい演説をした。土曜の夜にはパーティーが開催され、参加者は若者が多く、500ドル以上の募金が集まった。アムジャドの招請費用はノースウェスタン大学から得られ、マイクの飛行機運賃はニュー・プライオリティー委員会が支払い、パーティーの食べ物とビールはVVAWとMFSO[声を上げる軍人家族の会]のメンバーが寄付をしたので、我々が集めた募金は全て残すことができた。

 全体ではアルビル大会の費用の支援に4000ドルの募金を集め、参加者たちは、アメリカ占領軍や宗教勢力の衝突とは違って、イラクの未来を勝ち取るために実際に闘っている人々の新しい情報と展望に非常に感動し、啓発され、感銘を受けた。IVAWとUSLAWの協力は一層強められた。もっと多くの労働者に参加してほしいかったのであるが、何人かが参加し、集いに来た全ての人たちがたくさんのことを得たようである。願わくは、3人の話し手(アムジャドとアーロンとマイク)がどこか他の所でもこうしたことができたら良いだろう―彼らはそれぞれがとてもすばらしい。この計画を実行しませんか?
[PR]
by hiro_sana | 2009-06-22 09:05 | IFC関連情報
【転送転載歓迎】

(イラク市民レジスタンス連帯委員会)

イラク反戦情報は次のHPへ

イラク平和テレビ局in Japan http://peacetv.jp/
平和と民主主義をめざす全国交歓会http://www.zenko-peace.com/
週刊MDS http://www.mdsweb.jp/


※IFC(イラク自由会議)がイスラエルによるパレスチナのガザ地区攻撃を厳しく糾弾しています。(原文はアラビア語)
※原文は以下から:
http://www.ifcongress.com/Arabic/

(以下の日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

独立したパレスチナ人国家の形成こそが血塗られた復讐劇を止める道である
イラク自由会議 2008-12-29

 2日前からイスラエル軍はガザのパレスチナの民衆に対して国家的掃討戦争を仕掛けている、ガザのイスラーム集団が放つイスラエル市民へのミサイル攻撃を阻止するためだとする口実をもって。ニュースは、現在ガザでイスラエル軍が犯している一連の犯罪は、軍がガザからミサイル攻撃をしているハマースやその他イスラーム勢力のインフラを一掃するまで、引き続いてその緊張と射程を増すことだろうと伝えている。しかしこの(ミサイル)攻撃は一年以上に及ぶガザ住民への経済封鎖の後に始まったことであり、それはイスラエル市民へのそれらの集団のミサイル攻撃をせずにはいられなくさせたものなのである。

 長年続いている右派のイスラエル政府は、何十年も前からパレスチナ民衆に押し付けてきた民族的虐待の上に成り立っている。今日イスラエル軍が仕掛ける民族殲滅の戦争も、パレスチナ民衆を犠牲にしてその国家を永続させんとする支配的イスラエル右派の戦略実現の一環なのである。

 支配的でナチ的なイスラエル右派が犯す犯罪の数々は、世界が見ているその前で行われる、全ての人間性の価値に対するむき出しの嘲笑である。これらの犯罪はその(右派の)平和に関する主張の虚偽を暴くものである。平和への道というものは、何千という非武装の市民を飢えさせ、脅し、殺すことによってもたらされるものではない。それは数十年のパレスチナ民衆に対する民族的虐待の経験がはっきり示しているものである。

 今日パレスチナで起きている犯罪はガザからのミサイル投下を止めることはない。むしろ、それはテロの下地を強固にし、「パレスチナ人民の復讐」という名目で、パレスチナ、イスラエル、また地域全体の市民に対する、更なる連鎖犯罪が犯される結果を招くだろう。

 イラク自由会議はガザでイスラエル軍によって犯される犯罪を激しく非難し、この犯罪の即刻停止を要求する。平和を根付かせ、安全な生活をパレスチナ、イスラエル両民衆に作り出すには、独立したパレスチナ国家を作ることによってパレスチナ民衆への民族的虐待を終わらせることである。それこそがテロリズムの土台を一掃し、あらゆるテロリストグループを歴史のゴミ箱に押しのける方法なのである。
[PR]
by hiro_sana | 2009-01-11 21:29 | IFC関連情報